南紀・熊野地方からはいろいろな偉人を排出していますが、その中の一人に芥川賞作家であり、批評家・詩人である中上建次(なかがみけんじ)氏がおります。
作品が映像化されているのでご存知の方も多いかもしれませんが、改めてご紹介します。
1946年(昭和21年)和歌山県新宮市生まれ。
作家・批評家・詩人。
県立新宮高等学校を卒業後上京。
津島佑子らを輩出した文芸同人誌「文藝首都」に参加し、後に妻となる作家の紀和鏡と出会う。
働きながら小説・詩・エッセイを次々と発表。
1973年、第一作品集である『十九歳の地図』で芥川賞候補となり、注目を集める。
1975年、故郷である和歌山県新宮市を舞台にした血縁・地縁の物語『岬』を発表し、4度目のノミネートで第74回芥川賞を受賞。
初めての戦後生まれの芥川賞作家として話題を呼んだ。
続く1977年、『枯木灘』で毎日出版文化賞、芸術選奨新人賞を受賞し、作家としての地位を築き上げていく。
故郷を舞台にした重厚で独創的な作品群を発表し続ける一方で、社会問題を広く深く観察するために国内外を転居し、ルポタージュや評論などにも活動の幅を広げていく。
1989年には、新宮市において”熊野とは何か?”を問うため自主講座「熊野大学」を開講。
毎月、定期的に講座を開催していたが1992年、腎臓がんのため46歳の若さで死去。
新宮市は彼の功績を長くたたえ顕彰するため、1998年に「名誉市民」の称号を贈っている。
すばる文学賞受賞者の中上紀は長女、陶芸家の中上菜穂は二女。
アーネスト・ヘミングウェイと並ぶ20世紀を代表するアメリカ文学の巨匠であるウィリアム・フォークナーに影響を受け、故郷の紀州熊野を舞台に血脈の複雑な人間関係を骨のある独特の文体で表現した作品を発表した。
その濃密で土着的な世界観は「紀州サーガ」とよばれ、今日も根強い人気を誇っている。